「伊曽島」沿革

起源

桑名市長島町が初めて歴史文献に現れるのは平安末期。寛元3年(1245年)、前摂政であった藤原野道家が長島の地に流されて以来、戦略上の拠点として幾度も戦火に見舞われました。

「伊曽島」の由来は、「揖斐川(伊尾川)と木曽川の間の島」とされています。

戦国時代

日本の歴史上、最も悲惨な戦いであったといわれる、織田信長と一向宗の願證寺(がんしょうじ)との戦い「長島一向一揆」(1567~1574年)が起こりました。

江戸時代

江戸時代に入ると、菅沼、松平、増山氏などが長島藩主となり、新田開発や治水事業が盛んにおこなわれました。また、東海道の交通の要衝として賑わいを見せていました。

明治時代

明治時代に、木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川が、明治改修によって完全分流し、長島は現在のような地形となりました。

昭和以降

昭和29年、長島町が町政を施工し、さらに楠村、伊曽島村と相次いで合併して、旧長島町となり、平成16年には旧桑名市、旧多度町、旧長島町の、1市2町による合併により、現在の桑名市長島町となりました。

昭和34年に、「伊勢湾台風」によって全町が壊滅状態に陥りましたが、町民一人ひとりの努力によって完全復興し、現在の姿に至っています。

昭和38年に天然温泉が湧出して以来、農漁業のまちから、観光のまちとしても発展しています。

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